戦後の大きく変容する価値観と進取の息吹のなか、その時代を切り開いた作家を紹介する。日本の抽象画の先駆けである山口長男、傑作《太陽の塔》を残し、絵画、彫刻、パブリック・アート、写真など様々なジャンルを横断した岡本太郎、「書」の表現を現代美術の分野で開花させた書家・井上有一、同じパターンを描き続ける行為自体に芸術活動の意義を見出した菅井汲、人間の耳をモチーフに彫刻作品を制作し続けた三木富雄。「オリジナリティの高さと根源的な表現」がいま世界的な視野に再評価されつつあることに注目し、戦後日本で活動した作家の作品を中心に展覧する。
1916年生まれ。戦後まもなく世界的に高い評価を得た日本の現代書家。紙と墨からなる「書」を現代芸術の文脈の中で、個人の表現物として開花させた。1954年にニューヨーク近代美術館での「Japanese Calligraphy」展や第4回・6回サンパウロ・ビエンナーレ、ドクメンタ2などに次々と参加し、国際舞台で活躍。没後も国内7つの美術館を巡回する回顧展が行われ、書の母国である中国の美術館が相次いで大個展を開催するなど前例のない人気を誇っている。1985年没。
1919年生まれ。グラフィックデザイナーとして活動後、日本画家中村貞以に師事。1952年渡仏。東洋的なエキゾティシズムをたたえたものとして、パリで高い評価を得た。当初は象形文字のような形態を描いていたが、1962年頃から作風は一変し、幾何学的な形態を明快な色彩で描いたシリーズを制作。その後、円と直線からなる幾何学的な作風を展開。晩年は、作家自身のイニシャルであると同時に、道路の連続カーブを想起させる「S」をモチーフに描き続け、同じパターンを描き続ける行為自体に芸術活動の意義を見出した。1996年没。
1902年京城府(現・韓国ソウル)生まれ。1921年に19歳で日本に来るまで、同地で過ごした。日本の抽象絵画の先駆的な開拓者の一人とされており、黒の地色の上に、黄土色や赤茶色の絵具を厚塗りした独自の抽象作品がその特徴。1960年代にはニューヨークのグッゲンハイム美術館や、ニューヨーク近代美術館(MoMA)に所蔵されるなど、早くから世界の注目を集めた作家としても知られている。1983年没。
1936年埼玉県生まれ。日大芸術学部在学中に舞台美術家の長坂元弘に師事。1964年より独学で油絵を描き始め、翌年に澁澤龍彦と出会って『O嬢の物語』の装幀と挿絵を担当する。1967年に個展「花咲く乙女たち」(青木画廊)で画壇デビュー。絵画のみならず、着物デザイン、写真など多岐にわたる活動は晩年も衰えることなく、十八代目中村勘三郎襲名に続き、六代目中村勘九郎襲名披露の口上の美術を手がけた。2015年没。
1928年生まれ。芸術家を輩出する一族に生まれた。1952年、伯父の日本画家印象とともに初めてヨーロッパを旅行し、日本画から油彩画へ転向。1955年、27歳でパリに渡り、ミシェル・タピエが主導するアンフォルメル運動に身を投じる。第二次大戦後、力強く激しい抽象表現のうねりが世界各地に同時多発的に起きるが、アンフォルメルはその最も先鋭的な運動である。厚塗りの油絵とうねり渦巻く躍動的な形態という新たな画面を生み出し、非定型の抽象表現を目指すアンフォルメル運動の中心人物として脚光を浴びるとともに、日本の具体美術をタピエに紹介した。1962年以降、タピエと袂を分かち、持ち味である撥ねや滴りを反復させる「二元的なアンサンブル」シリーズなどを展開し、アンフォルメル以後の抽象絵画の可能性を画す表現として評価された。2013年没。
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